志賀海神社中津宮・沖津宮


志賀海神社には宗像大社同様 中津宮と沖津宮が存在します。

この中津宮(勝馬宮)は通称中津宮古墳の上に建っています。

この古墳は、7世紀ごろ(古墳時代)に造られたもので当地の海人集団の首長墓の墓であったそうです。


このあたりは宮地嶽神社と同じです。

注連縄?はまるで浦島太郎が巻いていた腰蓑のようです。

神紋は三巴です。

◆御祭神 仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)住吉と共に出現された和多津美三神の一人です。

末社

遥拝所

そして路は沖津宮へ

干潮の時には沖津宮に渡ることができます。

画像はお借りしました。

歩射祭で射手を務める若者達は、胴結舞が終わると志賀島北端の勝馬にある沖津宮、中津宮に参拝をする。 若者たちは、しばし焚火の日で体を温めるとふんどし一枚の姿で 海岸から100m程沖合にある沖津宮目指し、寒風が吹く冬の海を騎馬を組んで進んでいく。

岩場でガラ藻を採った若者は、沖津宮に参拝をして戻ってくる。


昔し、志賀島有志8人が安曇氏のもと8人の射手になり土蜘蛛を退治したことに由来し、無病息災、五穀豊穣を祈念して、その年に選ばれた射手達が6尺9寸の大的を土蜘蛛に見立てて、行われる由緒ある祭りである。 


こちらの安曇氏が全国の安曇・渥美・熱海などに移り棲んだと云われています。

安曇磯良は高良大社では高木の神から山を盗んだ神とされ、記紀に登場し、「日本書紀」の応神天皇の項に「海人の宗に任じられた」と記され、「古事記」では「阿曇連はその綿津見神の子、宇都志日金柝命の子孫なり」と記されている。その他、「新撰姓氏録」では「安曇連は綿津豊玉彦の子、穂高見命の後なり」と記される。  

0コメント

  • 1000 / 1000

倭国の記憶

倭国の古代のみ時系列で解明していきたいと考えています。