伊都国


東南陸行 五百里 到伊都國 官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐 「東南陸行。五百里。伊都国に到る。


官は爾支(ニシ・ジシ)といい、副は泄謨觚(セツモコ・セツボコ)、柄渠觚(ヒョウゴコ・セイヒョコ)という。千余戸有り。世、王有り。皆、女王国に統属す。郡使往来し常に駐する所。」 


現在伊都国と云われる国は、ほぼ共通して現在の福岡県糸島市を指すようです。

伊都国は邪馬台国を知る上で重要な場所であることからここを間違うと邪馬台国に行くことは困難になる国です。


住戸はおよそ千戸と少なめですが、一大率を設け各国の監視に当たっていたようです。官の名前ですが、発音はおそらくニキであり、「記紀」の人物ではニギハヤヒのことであろうと推測されます。


伊都国は可也(伽耶)山を境に 怡土と志摩に分かれており 

志摩には神武天皇が出航したと伝わる芥屋の大門と神武天皇に同行したと伝わる久米族の村があり太祖神社が重要視されているようです。

芥屋の大門

久米神社

太祖神社


一方怡土にはオオヒルメムチもしくはその母の墓とも伝わる平原遺跡


平原遺跡


そして平原遺跡を見守る高祖(たかす)神社

高祖神社


この高祖神社の祭神が彦火々出見命(山幸)と妻の玉依姫であることから神武天皇と山幸を結びつけたようです。


どうも神武天皇と彦火々出見命(山幸) 別名ニギハヤヒは同時代の人間のようでここで「記紀」による造り話が生まれたようです。

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倭国の記憶

倭国の古代のみ時系列で解明していきたいと考えています。