南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳鞮 可七萬餘戸
「南、邪馬壱国に至る。女王の都とする所。水行十日、陸行一月。官は伊支馬有り。次は弥馬升と曰う。次は弥馬獲支と曰う。次は奴佳鞮と曰う。七万余戸ばかり。」
投馬国を久留米であると想定するとその南に流れる川は矢部川でありその先には作家の故黒岩重吾氏が卑弥呼であると想定した八女津媛神社が
八女津媛神社
「日本書紀」によると、景行天皇が八女の県(やめのあがた)に巡行されたとき、「東の山々は幾重にも重なってまことに美しい、あの山に誰か住んでいるか」と尋ねられました。
そのとき、水沼の県主猿大海(さるのおおあま)が、「山中に女神あり、その名を八女津媛といい、常に山中にいる」と答えたことから八女の地名が起ったと記されています。
更にその先には古代女王山と呼ばれた「みやま」がありますが、田油津姫を滅ぼした高良玉垂命と神功皇后縁の神社が多くこちらの田油津姫も卑弥呼説が囁かれているようです。
田油津媛を祀る老松神社
日子神社
筑紫君磐井
この辺りは筑紫野君磐井の勢力範囲内でもしこの地域が邪馬壹國であったなら卑弥呼→高良玉垂命→磐井へと力が移行されたことになります。
この地区には更に面白い地域があるのでそちらも御紹介しましょう。
倭国の記憶
倭国の古代のみ時系列で解明していきたいと考えています。
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