始度一海 千餘里 至對海國 其大官日卑狗 副日卑奴母離 所居絶㠀 方可四百餘里 土地山險多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田食海物自活 乗船南北市糴
「始めて一海を度る。千余里。対海国に至る。その大官は卑狗と曰い、副は卑奴母離と曰う。居する所は絶島、方四百余里ばかり。土地は山険しく深林多し。道路は禽鹿の径の如し。千余戸有り。良田無く、海物を食し自活す。船に乗り、南北に市糴す。」
「魏志倭人伝」では狗邪韓国の次に記載されている国を対馬としています。
対馬の大官は卑狗(ヒコウ)といい副官は卑奴母離(ヒドボリ)と呼ばれていたとあります。
卑狗とは彦(ヒコ)のことであり小国の王を(県知事)あらわし 卑奴母離とは夷守(ヒナモリ)のことで国境を守備する軍事的長の名称ではないかと想像されます。
ではこの卑狗が誰で卑奴母離が誰であったかを推察してみましょう。
対馬に行ってみると大きな力を持っていたであろう二人の人物が浮かびあがります。
一人は和多津美神社 海神神社の祭り神である豊玉彦(八大龍王 ヤタガラス 八咫烏)ですが
彼を祭る神社はこの二社の他に見当たらないようです。
対馬で最も古い対馬県主祖・天日神命(対馬・阿麻氏留神社祭神)は、饒速日命の天上での妃の天道日女の父にあたります。 別名は天照御魂神とあります。
豊玉彦についていえば、饒速日命は大己貴 山幸と同一人物ですから豊玉姫の夫である山幸からすれば妃の父に当たります。
豊玉彦は義父であっても 豊玉姫が天道日女ではないようです。
すると天道日女の父は 阿麻氏留神社の祭神 天日神命と同一人物で 対馬対馬嶋国魂神社の祭神 素盞嗚尊のことではないかと想像されます。
現在でもその地は、神籬磐境の古制に従って、白水山に人が入ることを禁じており、海辺に遥拝所が設けられている。
元々素盞嗚尊の名前も漂流者を現し 天日鉾の名前も日の出を現していたはずです。 夜の食国(よるのおすくに)または海原が彼の治める国では無かったはずですが、どこかで入れ替えがあったのかもしれません。
倭国の記憶
倭国の古代のみ時系列で解明していきたいと考えています。
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