矢部川をみやまより更に上ると卑弥呼の祈祷所とも伝わるトンカラリンのある江田船山古墳山鹿を過ぎ入ります。
古代の山鹿は古代湖であったそうです。
この場所も「日本書紀」に記されている有名な女神いたとされる場所です。
姉の名前は吾平(アイラツ)姫 神武天皇の正妃であり手研耳(建磐龍命・阿蘇大神)の母です。
吾平神社
妹の名は櫛稲田姫 古代史を御存知で無い方でも八俣大蛇退治で有名な素戔男尊の妻です。
表面上は景行天皇を祭る大宮神社ですが
実はこの神社の末社の甲斐荒神(手足荒神)こそ彼女の父母の手なずち(金山彦) 足なずち(埴安姫)のようです。
もちろん八坂神社 祭神 素戔男尊もあり本殿は櫛稲田姫のはずですが
主祭神 景行天皇 阿蘇十二神となっています
もちろん山鹿には八俣大蛇と思われるを祭る八島八柱神社
これによると体一つで頭が八つの頭の亀と書かれていますが、古代亀は年を重ねると龍になると考えられていたそうです。 私は製鉄技術を持つ部族のトーテムのことと考えてます。 この神社の御紹介は別のブログでしますが、これが八俣大蛇の正体ではないでしょうか? この二人の女神が卑弥呼とは思いませんが、古代史における重要な神であることは確かです。
最後に邪馬壹國の最有力地を御紹介して邪馬壹國から離れたいと思います
倭国の記憶
倭国の古代のみ時系列で解明していきたいと考えています。
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