事代主

元々は、生粋の関東人ですが 現在 仕事の都合で福岡県に住んでいます

関東のように 新しいものは少ないですが 古墳や神社など各地にあり
神話の世界を実感できる所です

電車もあまり来ませんが 遅い電車は 日本一かのしれません
最近も 七つ星や 熊本の蒸気機関車 食堂車 阿蘇ボーイ 球磨川鉄道など時間のある方は 本来の電車の旅は 最高とおもいます

醤油ラーメンもほとんど有りませんが 
豚骨ラーメンだけは 日本一種類が有ります

魚は おいしいのですが 醤油が 甘くて食べにくいです
蕎麦は おいしいのですが

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「倭人は太伯の後裔(こうえい)」

時系列で考えると中国の史書に「倭人は太伯の後裔(こうえい)である」との記事がある。「呉」とは中国の周王朝の祖、古公亶父の長子の太伯(泰伯)が、次弟の虞仲(呉仲・仲雍)と千余家の人々と共に建てた国である。虞仲の子孫である寿夢が国名を「句呉」から「呉」に改めた。 紀元前12世紀から紀元前473年夫差王まで続き、越王の勾践により滅ぼされた。 国姓は姫(き)であるという。「倭人が呉の末裔であると解釈できる中国史料は何か?」というとそれは『魏略』であり中国の使者に<…その旧語を聞くに、自ら太伯の後という。>つまり自ら「倭人が呉の末裔である。」と語ったことがその根拠となります。髪を短く切るのは海の中で邪魔にならないための処置であり、刺青をするのは模様をつけることで魚に対する威嚇となる。この二つの風習は呉地方の素潜りをして魚を採る民族に見られるという。歴代中国の史書で倭に関する記述にも同じような風習を行っていることが記されている。  最初に倭人が古文書に登場するのが、前漢の史家・王充(オウジュウ=AD27年~97年)が著した『論衡』(ロンコウ)という史書の次の箇所である。
 第 八  儒僧篇 周の時、天下泰平にして、越裳は白雉を献じ、倭人は暢草(チョウソウ)を貢ず。

第十三  超奇篇 暢草は倭人より献じられる。

第十八  異虚篇 周の時、天下太平にして、倭人来りて暢を貢ず。

第五十八 恢国篇 成王の時、越常は雉を献じ、倭人は暢を貢ず。これがいつの時代の記述かというと、その時期を成王の時代としている。成王の時代とは、確定された在位は紀元前1042年から1021年の22年間である。この時代の倭人が「呉」の時代と同時期ではあるが、記載のある倭人と同じ倭人であるかは不明で同じ人種かというと、明確なことは言えないようです。次に倭国に呉人の伝承や証拠が残っている場所を調べてみましょう。九州には呉人と思われる河童伝説が多く、その中でも最も古くから伝わるのが、「熊本八代の河童伝説」であるといえます。